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不道徳を道徳を持って学ぶ(3) 男と女の虚飾

昨今デジタル時代の30,40歳代の若者が、一時の社会の歪みを巧みに利用してお金に困ったこともないよう身振りをする。お金の質が何であれ、目指す夢とか掴む夢とかが異質に感じる。これはに関しては後日語るとしよう。

03年、頭の先からつま先まで高級品で身繕いして愚生に面会に来た者がいた。その者がある日、愚生を都内の高級レストラン(愚生の要望で和食にしてもらったが)に招待した。平塚から湘南ライナーで恵比寿で下車、見知らぬ女のベンツで男の待つ会食の場所へ。離れの座敷上座へ、いい女の酌ですっかり酔いしれた。36歳の彼は、すべてが巧くいっており有頂天だ。横浜の紅葉坂には同級生の愛妻と2歳の愛娘が両親と居ると聞いた。何度か上京するので男も愚生に都合に合わせて談笑会食した。いつものように食事しているとき情婦(愛人)のいる前で男に言い聞かせた。いにしえの賢人はこう言っていると・・・。

「貧乏がドアから入ってくると、愛情は窓から飛び出て行く。」

情婦(愛人)からヒステリックな電話が鳴ったのは半年後だった。愚生は女の言いぐさに適当な言葉が浮かばなかった。ただ黙って聞き流した。あれから3年経つが、もう40に手の届く好いオヤジになっているに違いない。盆暮れの付け届けは来るものの、あの時の勢いを維持しているだろうか。愚生の教えを守っているにちがいない。年賀はがきが横浜から届いているので安堵している。

このような性愛事情をどんなにごまかそうとしても所詮は、女の魅力的な身体と金を交換しているにすぎない。貢ぐ金の性質がどうであれ既婚者達はその辺のきわどさを良く解っての行動するべきと申し伝える。お金が無くても、自由に相手を選べるとなると判断能力に欠けている少女(幼女)を好む者が多いことは今に始まったことではない。愚生からして、そんな連中は問題外である。金銭的ツキがが無くなったら、潔く女を諦めるべきと併せて申し伝える。この潔さが無いと、三面記事を賑わす・・・。後は、修行中の男性諸君の想像に任せよう。

「不満を抱いている女は贅沢品を欲しがるが、男を愛し満足している女は板の上でも寝る」

愚生の経験から申せば、ほとんどの男性諸君は「愛人」という者に対して小説や週刊誌たぐい、そして映画やテレビなどマスメディアの媒体を通して作り上げられたイメージを描き抱いている。これは間違いだ。

今に始まったことではないがこの手の小説雑誌は昔から有る。しかし、そこには活字から思考する能力が求められた。昨今では、活字が離れビジュアル全盛時代、それに拍車をかけそのイメージに近い女を手に入れたいと夢想することが多くなっているデジタル大漂流時代。大方は、危険を冒してまでそれを実行するわけにもゆかないのが現実だが、錯覚を起こしてバーチャルな世界観から現実のドロドロした男と女の狭間に繰り出すため、多くの問題が生じる。

一方、昨今の社会現象からして一攫千金を得た者は、資質が伴わないままこれを実行するから巷の小便臭い小娘も自分の匂いも未だ有るにもかかわらず小銭の匂いに目一杯着飾って敏感に反応してしまう。男と女の虚飾の始まりだ。


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ID:41 | 投稿者:NUMAX | 日時:2006年09月03日 03:00 | 印刷用ページ

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