コラム:浅草ロック座の女たち
旧正月に、ぶらり浅草を訪ねてみた。
多くの男性諸君は一条さゆりと言う女を知っているだろうか。多分、神代辰巳監督製作の映画「濡れた欲情」はあまりにも有名だからスクリーン(ビデオ)に映る一条さゆりを知るだけだろう。愚生が25歳前後だったと思う。全共闘の使い走りに疲れ大衆化しようと、どんこ(各駅停車)であっちこっち周って歩いていた。萩から遠回りで、たまたま神戸の友人の所を訪ねた時、三十半ばの先輩と言う男を紹介された。
その先輩は全共闘には全く無縁な男だったが、とある団体と言うか組織の草鞋持ち的(この表現は適切でないかもしれないが、時の長の草鞋持ちだった)な役割をする男だった。既に結婚しており愚生くらいのカッペ物が多く出入りしていたが、何かしら先輩に気に入られ危なっかしい酒場や合法かどうか知らなかったが花札?する場まで連れ立って頂いて2年間くらい神戸で過ごした。生い立ちからして教育熱心な先輩は中学に上がる自分の息子の家庭教師だと言っては、たむろする若い連中に紹介した。男の師と仰ぐ時の長の所には人相の悪いガッチリした彫った男たちも「キョッポ」も多く出入りしていた事も今も記憶している。愚生のそれまでの生活圏からして、得体の知れない怖い世界と気づいたのはずっと後の事だった。
毎日が住む世界が明らかに違うと悟ってみたものの「都市の論理」に見え隠れした屁理屈の無い身体一つの世界が何かしら楽しかった。同時にカルチャーショックの連続だった。
その2年間の間に、一条さゆりを目の前で見る事がしばしあった。愚生より干支が一回りくらい上だったと記憶する。最高に、芸にも女としても油の乗った時期を目の当たりにした幸せは生涯忘れてはいない。先輩が仰ぐ、時の長から貸切だと言って場末の舞台ある店に連れて行かれた。凄く酔った一条さゆりを見た。26歳になったばかりの愚生は、ぶるぶる震えて先輩の肩越しに、彼女の妖艶さをにらめつけられる様な眼差しの中から脳天に刻み込まれ背筋が凍る思いで堪能した。そんな場面に出くわしても勃起している愚生が恥ずかしかった。滴るような艶かしい姿に衝動を抑えられなかったのが本音だ。先輩から「男は勃ってなんぼ!女は勃たせてなんぼ!」だと教えられた。その後、多くの知識人が取り囲み映画を造ったり書物になったり神話化した。愚生が初めて拝謁した時から33年以上も経た一条さゆりの芸風や人生を、今も愚生がとやかく言うつもりは無い。
この道には馴染めないと神戸に戻り、先輩の力添えで湊川神社前の新開地の片隅に橘と言う姓の4歳年上の女と一年くらい過ごし先輩の息子の家庭教師傍ら助平さを極めた。安っぽいスパンコールで飾ると際立つ大人な女だった。先輩の息子も無事希望する私立中学へ進学し橘と言う姓の女の物心両面の支援もあって、一念発起し再び上京して上場製造会社に入社を果たした。しばらくは会社員として当然の義務を果たし、工学技術的な基本を学んだ。30歳を迎える頃は労働組合の執行委員長、書記長と相変わらず奮起していた。川崎を中心に東京下町工場や地方都市にオルグへ出向く忙しさだった。オイルショック、そしてロッキード事件と、時代の流れは凄まじかった。生活様式や物事の考え方が、この頃から少しずつ変わってきたと感じた。32歳で娘を授かって労働運動から身を引いた。
60歳に手の届く年頃になってしまったが、この歳になっても選び出す女は何かしら一条さゆりに似ている事は諌めない。愚生のこの25歳前後は人生の一番肝心な部分を教えられたに違いない。女とは、男とは、情とは・・・何よりも全てを通して蔑ろに出来ない性の持つ凄まじさを学んだ。愚生も、しっかりと心身共に勉強した。先輩に何時も心の中で感謝し合掌している。
久しぶりの浅草ロック座で見る女たちは今の時代にあって綺麗だ。綺麗と言うより可愛い表現が似合うかもしれない。不謹慎になるが歳のせいも有って、頭に血が上っても下半身に血が落ちてゆくような事は無かった。綺麗な顔立ち、美しいプロポーションは、今もそうであるが頭中心の妄想を掻き立てるが身体全身が奮い立たない、身体が奮い立つような女は同時に生活力を着けてくれる事を忘れてはいけない。頑張りの利く女を選び出すのが大人な男だ。デジタル時代の男性諸君はグラビア的?絵的な美しさに想いを馳せ、生身の女を知ろうとしない傾向に有ると思うと淋しさを禁じえない。
多くの団塊の同世代そして少し先輩たちは何かにつけて吉永小百合と言うが、愚生は団玲子であり左幸子であり一条さゆりであった。
浅草界隈の話は大分逸れてしまったが、愚生が始めて浅草に来たのは東京オリンピック以前の中学校の修学旅行の時だった。浅草国際劇場でラインダンスを見て、幼い頃地方巡業のレビューを見た事があるが華やかさは雲泥の差が有った。全国の同胞たちは「金の卵」と持て囃され集団就職列車に揺られ東京を目指した。そして愚生も多くの友を見送った。
愚生は、SKDの華やかさを自分の力で見たいと奮い立ち、この雲泥の差を自力で縮めなければと思い高校に進学するため猛勉強した。日本中が東京オリンピックへまっしぐらだった。兄は東京オリンピックの聖火が全国を駆けめぐったとき地元の伴走者、そして地元の国立大学へ進学した。愚生は、二年後向学心に燃え上京した。SKDのラインダンスどころかアジビラが舞う「膨れあがった世代の通り過ぎる風」の中に漂ってしまった。浅草に在るラインダンスの煌びやかさに憧れた夢は瞬く間に遠のいた二十歳の頃だった。
浅草国際劇場SKD在ったところにはビューホテルが建ち面影は微塵もないが、旧正月にぶらり訪ねた浅草は愚生にそんな事を思い出してくれた町だった。帰り際に駒形どじょう食べながら熱燗一本。隅田川を下る船に身を任せた。
船上で、ふと思った。デジタル時代の男性諸君はグラビア雑誌やモニターの向こう側に淫らさを感じてもセックスの健康さを感じなくなってしまっているのではなかろうかと。高学歴と氾濫する情報の中で人間の営みとして性交が欠かせないことは認識していても、其処には臭いも味も風すら漂ってなく健康な人間の逞しさや力強さは何一つ感じられなく、消滅とか減退だけがあって妄想だけが駆けめぐっているであろう。
人間の性欲を健康に刺激し、性的な快感追求の延長には産出とか創造があることを何らかの方法で知らしめる必要があると感じて止まない。ここを真摯に受け止め、もっと心の内面を掴み生命力の創出行為への未来志向と繋げなければならない。愚生は中学生の時観たラインダンスや一条さゆりのストリップに、左幸子演じる「日本昆虫記」に臭いや風、味さえ感じ、生きていると頑張ってきた。
若者の無気力化、「ニート」や「少子化に歯止めを」と論じる多くの論客学者がいるが、学者でも医者でもない一介の場末な町工場で助平な技術屋の愚生の思いや憂いに耳を傾けることなく卑猥と一蹴するだろう。日の出桟橋から帰路に着いた。
2006年2月 沼崎 拝
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ID:44 | 投稿者:NUMAX | 日時:2006年09月06日 00:00 | 印刷用ページ
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