コラム:男の本望
今では渋谷で珍しいクラブに通っていた頃だ。お店には22?3名の女の子がいた。その中に敏恵と言って美人とはいえない22歳の金町生まれの珍しく礼儀正しい子がいた。ママから紹介してもらい同伴目的の晩飯をよく一緒したが銀座や六本木と違いお水の女の子に見えず街に溶け込んだそぞろ歩きだった。しかし若いその子は街に出れば昔の仲間が声かけてくる。懐かしく立ち止まって話す。歳の離れた愚生はバツ悪く先に歩いて見失ってしまうことしばしあった。当時は携帯電話など持っている人は少なく仕事柄愚生は持っていたが重く決して小さな物でなかった。女の子は持っておらず時折の逢瀬に「買って」ねだられたことがある。渋谷は16の時から住処にして居たと聞いたのは箱根に小旅行したときだ。
箱根は緑うっそうとしたよく利用する小宿の何件か知っていた。川向こうの小宿に彼女を誘ってみたら二つ返事で着いてきた。彼女には言っていなかったがトラブルを避けるためにママの了解はきちんと取ってあった。取ってあったと言うよりはお願いされた形だった。お店の常連としての京都出身のママには良くできた作法だ。遅い午後、新宿駅で待ち合わせロマンスカーで箱根を目指した。未だ晩冬の色が濃い日も遅い一日だったが、難なく宿に入った。出迎えた馴染みの三助が足下を照らし案内した。新芽が吹き出すか出さない頃の季節だったが温泉特有の風に乗る香りの中に彼女の臭いが感じた。いつもお店で見せる臭いと明らかに違う場慣れした臭いだった。食事と甘い酒に誘われて離れの湯に浸かったのは午後10時を回ってしまっていた。今時と違って入り口に看板をぶら下げてはいる家族風呂だ。遅い時間と客足の少ない日だったので時間はたっぷりあった。
貸し切り家族風呂ではじゃれ合うことは避けたが風呂上がりに離れから歩いてくる最中に思いっきり抱かれ強い接吻を求めてきた。何年ぶりだろうこの感覚はと酔いを忘れて下半身がうずくのが解った・・・というより即座に反応、感じてしまった。部屋に着くや否やタオル引っかけるのも早々に浴衣の帯を強引に解き押し倒してしまった。あれから二十年の時を経たが彼女は立派に横浜の繁華街の一角へ店を構えた。当然、京都出身のママの後押しもあったと後で聞いたが、彼女自身の努力が何人かの馴染みの客への好かれる努力を惜しまなかったことが勝ったのかもしれない。今でこそヨガとかエアロビとかスポーツジムが数多くあるが彼女は当時では少なかったそんなジムに日参して体型を維持してきた。決してブランド品や嘘くさい紛い物で飾り立てなかった品の良い清潔感の装いが今の彼女を語っている。多くの女の子は顔を中心に磨きをかけ男に惹かれようとするが釣った魚を得たとたんブクブクと下半身が出てくるのは何故だろう、彼女と根本的な目的思考が違うのだろうか・・・。
今時の巷には、当時の容姿から考えられないくらいの美男美女が溢れて、ついつい愚生もせめてあと15?6年若ければ・・・と下心が持ち上がる。ただ今日においても「連れだって歩くのは飾りごとか、愛玩になってしまっている」多くの男性は今も変わらずブランド品買い与えハイソな車で高級リゾートへと誘っているのであろう。若ければそれが恋いに芽生え愛に発展してゆく可能性があるので結末をとやかく言うつもりはない。
ただ、馬鹿の一つ覚えで流行の「ちょい悪オヤジ」という言葉に煽てられている輩は背負う看板の大小問わずサラリーマン感覚で場末の酒場にたむろするような愚痴がたりで女に言い寄ってはならないことを経験から断言する。女は男がどのような生き方をしてきたかどのように生きているか常に見ている。どんな女にも当てはまるが「女は愚痴を聞く耳は持たない、物で着飾りたい気持ちと何か心に感動を与え当て貰えるのではないかと期待の狭間でいつも揺れ動いている」ことを忘れてはいけない。
滅多に行くことが少なく、足が遠のいてしまったが忘れた頃にどちらかでもなく電話すると笑顔で付き合ってくれる。「いろんな人と付き合ったが、あの時の沼さんの言ったことが今でも心に残り努力し、今も続けています」「二人の子供も健やかに育っています」有り難うございましたと丁寧に頭下げる40半ば過ぎた彼女は今でも抱きたいくらい好い女だ。安心を覚え、大人の男として本望だ。
ID:62 | 投稿者:NUMAX | 日時:2006年09月18日 16:29 | 印刷用ページ
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